わたくしは「頭がおかしい人」を「頭がおかしい」と思ってなかったから 好き嫌いで人を選んでいたわけです。
医療や福祉のラインで決められて、それが基準になってしまうと 自分の中に明確で恣意的なラインが生まれてしまった。 例えば自分の理解できないこだわりを見せられただけで、 「おもしろい」と思う前に「おかしい」と反射的に判断してしまう。
これが実に苦しい。苦しくてなんとかしてもらいたい。 しかしそこに医療が出てきて「それはこうこうこういうことですよ」 と言われたらそれこそ本気でわたくしも狂ってしまう。
だから差別主義者になってしまった自分があまりにつらくて、 漫画にもしょっちゅう描く。 これは自他境界が曖昧だという話ではない、 哲学と倫理の大問題だとわたくしは思う。
ぴんと来ないかもしれない。わたくしも恐ろしくて あまり深く考えなくなった。
ただ、ただの直感として、 これはだめなんじゃないかと感じている。
セリフ
- 「一緒にしぬ?えへへ。バカか。一人で勝手にしね。」
- 効果音非リアルな「死」
- たくさん色んなものを見聞きして思ったのは
- わたくしが「青春」「恋愛」「葛藤」と呼んでいた重要な世界の大部分が
- 〇〇障害、〇〇症そしてそれらのグレーゾーンという医療と福祉で命名され置換されてるという現実。
- そりゃわたくしの青春が見たくない、笑えないものと映っても仕方ないな、怒ってごめん。
- 何も気にしたことなかったが、今は自分がおかしくなるほど「変な人」を警戒し、怯えている。
- 実際30年前のわたくしはこんなんで9割じゃれあい1割マジメ。は意識してた。
- 「ねえ、でも本当にこれでよかった?みんな楽になった?」
この画像は、過去の自分がASDやADHDといった特性を気にせず無邪気だった一方で、現在は「変な人」と見られることを恐れる心情を描いている。かつて「青春」や「恋愛」と称した感情や出来事の多くが、現代社会では「○○障害」「○○症」「グレーゾーン」といった医療や福祉の言葉に置き換えられている現実を指摘。その結果、自分の青春が「笑えないもの」と映ることへの複雑な感情を吐露し、「みんな本当にこれで楽になったのか」と問いかけている。
