僕はマゾヒストではない。
傷ついたことを描いて喜んでいるわけではない。
この手のかんちがいは、
主語のない言語圏(主に関西)では日常的によく起こる。
傷つくというより、恥ずかしい。
なぜ恥ずかしいんだろうと考えると、
世界を自分の視点からだけ見ていたことに気づくから。
自分を見つめることは実はそれほど難しくはない。
人と接していれば自然と自分のことによく気づく。
後は自分に嘘をつくかつかないかの話だけだ。
奥崎というキャラクターが、なんとなく退屈だと感じている場面である。彼女は友人に「つまんないなー」と呟き、友人は気晴らしに車でどこかへ行くことを提案する。しかし奥崎は、その退屈の原因は場所ではなく一緒にいる相手、つまり友人にあると返す。微妙な関係性や複雑な感情が透けて見えるシーンである。
