一覧
読み込み中...
全部見る

ショートヘアの少女が猫クッションを抱え座る

僕は「逃げていい」なんて思わない。

「死ぬくらいなら逃げていいよ」も正しそうでいて、違和感を覚える。

その違和感は、

逃げ場などない、

一刻の猶予もなく追い詰められた人間に対して、

あまりに他人事で突き放した無責任な言い方に聞こえるからだ。

僕が逃げていいと言う時は、

「ここに、僕のところに逃げてくればいい」という意味であり、

僕自身がその責任をとる、という意味でもある。

それを信用するかしないかは死にたい君自身であり、

それは僕とは関係がない。

僕は「死にたい」と僕を頼る人間に対しても、

常に最初から

僕に君たちを救いたい意思はないこと、

ただの興味本位であること、

ただし、決して鼻で嗤ったり、説教したりはしないこと、

でもただ聞いてるだけではなく、僕の意見は意見として言うこと、

を説明した。

それでも人はやってくる。

それほど追い詰められている。

そしてそんな追い詰められる世界を作ったのが

僕たち自身であるという罪悪感が、

テレビやネットで芸能人が適当にしゃべる、

いじめ体験や不幸な生い立ちやきれい事の「逃げていい」

に対して、

激しい反発を引き起こす。