自分を頑固だと思ったことはあまりないんですけど、
日記の中の僕と、もらった手紙の中の僕には大分差があって、
そういうところで少しづつ主観と客観の差を埋めていくんだろうと思う。
物事を主観でしか見れない、つまり「空気が読めない」ということに対して、
今は僕たちの頃のよりもずっと手厳しい。
もうなんというか、罰にすら近い感覚がある。
だからその生きづらさを
障害なんだ、あるいはグレーゾーンだ、と
決めつけることでしか罰から逃れられない雰囲気さえあって、
あれは嫌だなと僕は思っている。
僕は少しもキラキラしていなかったし、
少しも他人に対して思いやりのある優しい人間ではなかったが、
だからと言って笑ってその場をなごやかにやり過ごすことが
正しいことだとも到底思えなかった。
ただ1対1で関係したかった。
その調子で50近い今までやってこれたのは奇跡なのかもしれない。
教室らしき場所で、ハセガワと女性が向かい合って座っている。ハセガワは背を向けており、女性は悲しそうで切なげな表情を浮かべている。二人の間には言葉にならない溝や誤解が感じられ、手紙による謝罪がその背景にあることが示唆されている。感情のすれ違いが静かに伝わる場面である。
